清水寺・八坂神社・八坂の塔
紅葉 桜
| 祇園・八坂・円山公園 |

八坂神社の境内に続く円山公園は、中央に池を配した和風庭園。園内には料亭や茶店、
野外音楽堂の施設などが点在している。花見の名所で、なかでも祇園枝垂桜の名で
知られる大樹は、毎年この花のために京都を訪れる人もあるという。

現在の樹は二代目で、桜守としてしられる佐野藤右衛門氏と同じ1928年(昭和3)生まれ。
春の宵、ライトアップされた夜桜とぼんぼりの灯で、園内は幻想的な桜色に浮かび上がる。

八坂神社(やさかじんじゃ)は京都府京都市東山区祇園町にある神社である。
かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。
清水寺 http://www.kiyomizudera.or.jp/ |
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![]() 本堂・舞台 本堂には本尊十一面千手観音が安置されています。 ![]() 市内一望 平安時代の姿そのままで、やや曲線を描いた桧皮葺(ひわだぶ)きの屋根が美しい。本尊の十一面千手千眼観音は33年に一度ご開帳される秘仏で、通常はお前立ち像を拝観できる。 ![]() 本堂・舞台から音羽の滝 ![]() 寛永10年(1633)再建、正面36m強、側面約30m、棟高18mの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。そして錦雲渓の急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱を立て並べて支えている ![]() 出世大国天 本堂西側におられます。 ![]() 本堂の北に鎮守社の地主神社(じしゅじんじゃ)があり、さらに北には清水寺本坊の成就院がある。 本堂を出ると地主神社 ![]() 本堂 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。「清水の舞台」で知られる建物である。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている。このような構造を「懸造」(かけづくり)、あるいは「舞台造」と言う。 ![]() 三重の塔と本堂 境内の東側には北から釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院が崖に面して建つ。 三重の塔と本堂 ![]() 堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧(かけい)から流れ落ちており、 「音羽の滝」と呼ばれている。 音羽の滝 「黄金水」「延命水」とよばれ、“清め”の水として尊ばれています。 ![]() 清水の舞台で名高い東山の清水寺は、平安以前に坂上田村麻呂が創建し、のちに西国三十三ヶ所の札所となった観音霊場。かつては清少納言も参詣した。音羽山の山裾一帯に境内がひろがり、春は桜、秋は紅葉、自然と堂塔伽藍が調和して美しい。 ![]() 三年坂 ![]() 清水寺付近の、三年坂の通りが色んなお店があっておもしろい。 お土産に“ようじや”の油とり紙とか、阿闍梨餅(あじゃりもち)などあります。 |
![]() 八坂の塔 八坂の塔で知られる法観寺は、臨済宗の寺。歴史の古さは京都でも屈指で、寺伝によれば聖徳太子によって建立されたといい、平安京以前に住んでいた八坂氏の菩提寺であったという説もある。 ![]() 八坂の塔は、永享12年(1440)に足利義教によって再建されたもの。他の伽藍は応仁の乱で灰燼に帰し、このシルエットの美しい五重塔だけが残った。内陣には五智如来が安置されている。 ![]() 八坂神社 八坂神社(やさかじんじゃ)は京都府京都市東山区祇園町にある神社である。かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。 7月の祇園祭で知られ、ほかに特殊神事として白朮(をけら)祭がある。日本全国に約2300社ある、素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社である。旧社格は官幣大社。 明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが「八坂神社」と改められた。 ![]() 京都一の花見の名所として有名な丸山公園。花見の頃になると公園の入り口には露店が並び、桜の下にはシートが敷かれ、夜桜を楽しむ京都の人々でごった返す。 ![]() 公園の名物である枝垂れ桜の巨木「祇園枝垂桜」の周辺は特に賑わっている。見事な枝垂れ桜 ![]() 豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。 ![]() 大晦日の「をけら火」は近隣府県からも多くの参詣者が集まる。人と人の間に挟まれ、身動きができない程である。 自然に本殿前まで運ばれ、そのまま吐き出された記憶がある。 ![]() 手を合わせるとか、お賽銭をさしあげることすらできない。 真夏の風物詩「祇園祭」はあまりにも有名である。 ![]() 祇園祭 豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。 古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数−66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。 祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます ![]() 祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越 祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。 ![]() 古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数−66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を 祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。 ![]() 社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山に祀られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まるという。他にも各種の記録がある。 貞観18年(876年)に僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、藤原基経が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称した 延長4年(926年)、ある修行僧が祇園天神堂を建てた 承平4年(934年)に祇園感神院を建てた 創建については諸説あるが、祭神は古くから牛頭天王(およびそれに習合した素戔嗚尊)であったことは確実である。古くからある神社であるが、延喜式神名帳には記されていない。これは神仏習合の色あいが濃く延暦寺の支配を受けていたことから、神社ではなく寺とみなされていたためと見られるが、後の二十二社の一社にはなっており、神社としても見られていたことがわかる。平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けた。 祇園祭は、貞観11年(869年)に各地で疫病が流行した際に神泉苑で行われた御霊会を起源とするもので、天禄元年(970年)ごろから当社の祭礼として毎年行われるようになった。 |
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東山をバックに敷地約10万平方メートルを誇る回遊式庭園で、広々とした園内には野外音楽堂、坂本竜馬・中岡慎太郎の銅像・碑のほか、有名な料亭がいくつもあります。
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桜の名所として特に有名で、4月上旬になると美しい枝垂桜が花開き、昼夜とも花見客でたいへんにぎわいます。
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ここから北へ少し歩くと知恩院です。
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円山公園は、京の人々の憩いの場。春は桜、秋は紅葉が美しく、池には鯉が泳いでいます。
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近くには、お庭がきれいな青蓮院、建礼門院ゆかりの長楽寺。

どちらも、歩いてすぐのところにありますよ。時間があれば知恩院へも。祇園あたりで一時間ほど、というときおすすめです。
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