南禅寺 紅葉 新緑 

京都  南禅寺


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 三門
 
南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。
山号は瑞龍山、寺号は詳しくは「太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)」と号する。


南禅寺 紅葉 京都 永観堂

京都五山の上位(五山第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺院で
、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇った。





南禅寺 三門



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南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは「太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)」と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)である。皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものである。京都五山の上位(五山第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇った。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 三門


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 三門

三門−歌舞伎の「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)で石川五右衛門が「絶景かな」と見栄を切るシーンに登場する門である(石川五右衛門がこの門に上ったというのは架空の話で、門は五右衛門の死後に建ったものである)。五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建の門)。藤堂高虎が、大阪夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したもので、寛永5年(1628)の建築である。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 三門

上層は「五鳳楼」と称され、釈迦如来と十六羅漢像のほか、寄進者の藤堂家歴代の位牌、大阪の陣の戦死者の位牌を安置する。天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられる。

南禅寺 三門 永観堂 

歌舞伎「山門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と大見得を切る舞台となった山門があることでも有名です。このお馴染みの山門は、2層からなる高さ22mの壮大な楼門で、その門前に建つ石燈篭も高さ6mを誇り、日本一大きいことで知られています。


南禅寺 三門 永観堂

寺域内には日本を代表する見事な庭園の数々があり、中でも国宝大方丈の「虎の子渡し」と呼ばれる庭園は、樹木と石組を一ヵ所にまとめ広い余白が楽しめるようになっており、小掘遠州作の禅院式枯山水の代表的な庭園で見ごたえがあります。

南禅寺 三門

京都五山文学の中心地ともなった臨済宗南禅寺派の大本山。石川五右衛門の「絶景かな」という台詞で有名な三門からの景色や南禅院など、紅葉の見どころは多い。

南禅寺 三門 永観堂


現在の三門は、藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したもの。創建は、永仁3年(1469)、西園寺実兼の寄進により建てられたが、火災で焼失していた。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂

三門の高さは22メートル。楼上には、回り縁が巡らされていて、内部には宝冠釈迦坐像を本尊として、脇侍を安置し左右に十六羅漢が配置され 、また徳川家康、藤堂高虎の像と一門の位牌も安置されている。天井の極彩色の絵は、狩野探幽、土佐徳悦の合作とされている。

永観堂



境内の水路閣

境内を横切る赤レンガのアーチは明治時代に琵琶湖疏水を引いた水路閣で、春は桜並木が美しい。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 水路閣

紅葉時期もとてもきれいな風景となります。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 水路閣

南禅寺の寺院とは異なる赤レンガのアーチが南禅寺の境内に造られています。これは、琵琶湖の水を京都に流す「琵琶湖疎水」が通る水道橋です。

水路閣 南禅院 永観堂

琵琶湖の湖水を、京都市へ運ぶために作られた水路(疏水)である

水路閣 南禅院 永観堂

正式には水路閣(すいろかく)と言い、古代ローマ時代の水道橋を参考に明治時代に建設されました。水路閣の上は、疎水沿いに歩ける遊歩道になっており、春には桜、秋には紅葉が美しい散策コースになっています。


南 禅 寺

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 水路閣
大方丈と小方丈からなる。大方丈は、慶長度の御所建て替えに際し、天正年間(1573−1592年)
建設の旧御所の建物を下賜されたもの。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 水路閣

「旧御所清涼殿を移築した」とする資料が多いが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものである。接続して建つ小方丈は寛永年間(1624−1644年)の建築とされる。小方丈の障壁画は狩野探幽の作と伝えられるが、作風上からは数名の絵師による作と思われる。


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 水路閣

方丈庭園 虎の子渡しの庭


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し

方丈前の枯山水庭園は小堀遠州作と言われ、「虎の子渡しの庭」の通称がある。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し

方丈庭園 如心庭


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し

大方丈には狩野派の絵師による障壁画があり、柳の間、麝香(じゃこう)の間、
御昼の間、花鳥の間(西の間)、鶴の間、鳴滝の間の6室にある襖、壁貼付など
計120面が重要文化財に指定されている。


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し

これらは旧御所の障壁画を引き継いだものであるが、建物の移築に際し、
襖の配置構成が大幅に変更されており、本来ひと続きの画面であっ
た襖が別々の部屋に配置されているものも多い。


南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し

 内部に探幽筆といわれる《群虎図》(重要文化財)40枚があり、「虎の間」と呼ばれています。

南禅寺 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し


南禅寺 三門 紅葉 京都 永観堂 虎の子渡し


南 禅 院

南禅院(なんぜんいん)は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭である。南禅寺の発祥地といわれている。門前には琵琶湖疏水事業の一環として建設された水路閣が通る。


水路閣 南禅院 南禅院は、離宮禅林寺殿の「上の宮」の遺跡。

南禅院は南禅寺の境内にあり南禅寺発祥の寺院ということです。天龍寺庭園・苔寺庭園ともに京都3名勝庭園と呼ばれている池泉回遊式の庭はモミジが赤と黄色のコントラストが美しいです。

水路閣 南禅院

庭園は夢窓国師作。池泉回遊式庭園は離宮当時の面影が残っているとのこと。周囲は樹林で包まれ、外の音が遮断され、一層と静けさが増していた。天竜寺の庭園、苔寺の庭園とともに、京都の名勝史蹟庭園の一つに指定されている。


永観堂 南禅院 水路閣




南禅寺の僧侶を装った男が、「あなたは病気だ」などと言って高齢者の不安を煽るなどして、
仏画や数珠を高額で売り付けるケースが、関西地区を中心に相次いでいる。




袈裟を着用するのみならず、足袋をも紫色にして、高僧に見せ掛けているという。
南禅寺では、寺のイメージや信仰心を悪用しているとして、注意を呼び掛けている。



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南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。
 亀山法皇は建長元年(1249年)、後嵯峨上皇の皇子として誕生され、10歳にして皇位に就かれました(第90代亀山天皇)。
しかしご在位の頃より東アジアの情勢が緊迫し、上皇になられてからは蒙古来襲という国難に立ち向かわれました。
 この頃、上皇は父である後嵯峨天皇が帰依されていた圓爾辧圓(えんにべんねん)禅師(無関禅師の師・聖一国師)に受戒・問法し、不動の心を持って危機に対処されたのでした。
 国難去った正応2年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で落飾(出家)され、法皇になられました。
諱(法名)を金剛眼と申されます。「文応皇帝外紀」によれば、まもなく離宮に妖怪な事が起こりましたが、無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで妖怪な事は終息してしまいました。
 法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され、正応4年離宮を禅寺とされました。
 法皇と無関普門禅師の出会いはもっと早い時期にあったとも考えられています。
開山に迎えられた無関禅師は、その年の12月に遷化(死去)されてしまいました。
そこで翌正応5年、法皇は第2世として規庵祖圓禅師(南院国師)を選任されました。
 


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禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つもありませんでした。
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従ってその建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やし、暫くその完成をみるに到ったのでした。
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正応四年〔1291〕亀山法皇の離宮の地を賜わり、無関普門〔大明国師〕規庵祖円〔南院国師〕

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規庵禅師が創建開山と呼ばれる理由です。
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門の高さは22mあり、500円払って登ると京都市内や南禅寺塔頭などが見渡せます。もともとは1295年に創建されたものですが、1447年に失火による火災で焼失し、ようやく再建されたのは江戸時代の1628年、藤堂高虎の寄進によるものとされています。

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伽藍のほぼ完成した嘉元3年(1305)9月15日、亀山法皇は嵯峨の亀山殿で御歳57歳をもって崩御されました。


御陵は亀山殿の跡地に建立された天龍寺境内にあります。
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